対応推測理論は帰属理論のひとつなのですが、
それが悲しいことに他者への歪んだ眼差しを生んでしまいます。
人は自分には理解しえないことが起こったとき、その原因を突き止めようとします。
何か事件が起こったときに、よくニュースで「一体原因はなんだったのか?」みたいな煽り文句があるとつい見てしまうあの感覚です。
犯罪が起こったときに犯人が「以前別事件で殺人を犯した人と同じ中学出身で、不登校で、親は共働きで家に一人でいることが多く、人付き合いが苦手で、茶髪でピアスをいくつも開けていた」と書かれた新聞を読まされて原因を求めさせられたとき。
しょうがないとかやっぱりとか妙に納得した気になったのですが、
実はこの事件、冤罪だったんです。
でも実際発刊されたものです。
けれど私たちが読んだときに誰もそうは感じません。
それはある種の偏見なんだと思います。
これよりもっと悲しいのは犯罪被害者に対する偏見?です。
もし何かの事件で誰かが事件にあったとき、
被害者の周りの人がその人について話しているのを見聞きして、
「被害者にも落ち度があった」と考えることはありませんか?
私は情けないことに明らかに被害者に落ち度がない限りそう思ってきました。
例えたくはありませんが例えば性犯罪が起こったとき、その女性は暗い人気のない夜道を一人で露出の多い服で歩いていて襲われた、と聞いたら、「仕方ないだろ」と思ってしまう自分がいます。
何故そんなふうに思ったのか。
心理学はすごいですね。
これにもちゃんと理論がありました。
「被害者にも落ち度はあった」と考えてしまうことを、防衛的帰属といいます。
プリントによりますと(←ここはあった(笑))、「軽微な自動車事故であれば単なる不運な出来事として片付けられるが、被害が大きくなるにつれ運転者(被害者本人)の役割を軽視することが難しくなるため、もし重大な事件が本人(運転者)に原因なく生じるならば、人は自分も同じような被害に遭遇するのではないかと思ってしまうから」だそう(長ッッ)
つまり、被害者の過失を見つけて、自分はそんなことしない、だから被害にも絶対合わない、と思い込みたいだけってことです。
悲しいね、ホント。
一時期の「自己責任」問題思い出すよ…(ー"ー;)
以上。
星海の頭の整理でした(笑)
読んでくださった方、どうか丸呑みしないでね(´∀`;)ゞ
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