久しぶりに見たよ、キミの姿・・・。
今晩和。
先生のお手伝いで来年出す本の校正を手伝っている星海です。
そして先生の書く文章が気に入らなくて全部直したくなる衝動をどう抑えて良いか悶々としながら作業してます。
文末の表現をちっとは変えてくれー!!と叫びたくなること十数回。。。
一応、プロの方が直すべきトコロを網掛けにしているのでその部分だけを直せばいいのですが、たまに二択(「○○か△△のどちらかにしては?」とか)になってるときは前後確認が必要な訳で、
それを読んでると「~だった。」が続いていたりするのを読んだりすることになり、上記の衝動に駆られるという。
多分、私は私の文章を確立してしまっているからそうなんだろうなぁ、と思います。
前にもどこかで書いたかも知れませんが、昔から言われるのが、私の書く文章は一文目で分かるくらい特徴があるということ。
文章の入り方や言語表現、句読点の打ち方、引いてはその後続いていく文章構成というものが「この文章は星海が書いています」と紙の上で主張しているらしい。
どんだけ目立ちたいんだ自分。。。
ただ他人と同じことするのがとても苦手で出来るだけ違うようにと思っている、それが目立つことに繋がっているという。
なに?天然目立ちたがり屋ですか?みたいな。
ただし私の文章に良い評価が与えられるのは、大抵「作文」や「レポート」のときだけ。
「論文」は絶対評価が落ちるんです。
これは私が文章を書くときに一番気にしている「音の流れ」に関係していると思われます。
私は日本語は音の美しい言語だと思っているので、ちょっとした単語や接続詞をあれこれ考えて文章を書くのがスキなのです。
このことは「作文」などの軽い文体では評価の対象になるようなのですが、どうやら「論文」というのは理路整然とかくものであるせいか、要らない単語(私の場合は特に形容詞や副詞に接頭語に接尾語と殆どの所謂装飾的なことば)があることがとても敬遠されるようなんですね。
どれくらい要らない単語を入れているかというと、添削後に文章が全体の2/3に減るほどです。
高校の先生(担任兼古典担当)曰く、私の文章は紫式部に似てるんだとか。
あの句点のないだらだらした形容詞だらけの感じに近いそうでなんだかなぁ。。。
先生に大学の2次試験用の小論文(国語)を見てもらっていたときに、「声に出して読みたい日本語ではあるけれど、余計な単語や表現が多すぎる」と言われたのは今でもよく覚えています。
音の流れを気にして書いていることに気付いて貰えたのは良かったので、今後軽い文章を書くときもちゃんと気にしていこうと今もそれは継続しているつもりです。
何故「つもり」なのかというと、上記で示したように、私はどうやらすでに「私の文章」を確立してしまっているらしいから。
つまり、自分の好きな音の流れ、というのももうすでに決まってしまっているということになるので、普通にこうしてブログを打っていても多分、音読したときに自分の好みに仕上がるようになってしまっているということになります。
楽でイイ、と言えば良いのですが、問題はこの文体で論文が書けない、ということにあります。
堅苦しい文章が苦手なのに、これからそれを書く機会がモンブランのようにそびえ立っているのかと思うと少しはまともに文章を書けるようになった方がよいのかなぁとも思います。
私は大学のレポートも論述試験も殆どブログと同じように書いている上、ゼミの卒論用の発表も完全にラフなプレゼンにしてしまっているのでまともに論文を書いたことは皆無になります。
ということで。
ちょっと堅苦しい文章で何故店頭にバナナが帰ってきた(正しくは返ってきた?)のか、バナナダイエットは何故こんなにも早く収束を迎えたのか、を書こうかと思ったのですが、
ここまでできっと皆さんお腹一杯でしょうから今日はこの辺りでお暇しようと思います。
明日辺り時間があったら書きたいなぁ。。。
それでは!
みなさま良い週末をー!
先生のお手伝いで来年出す本の校正を手伝っている星海です。
そして先生の書く文章が気に入らなくて全部直したくなる衝動をどう抑えて良いか悶々としながら作業してます。
文末の表現をちっとは変えてくれー!!と叫びたくなること十数回。。。
一応、プロの方が直すべきトコロを網掛けにしているのでその部分だけを直せばいいのですが、たまに二択(「○○か△△のどちらかにしては?」とか)になってるときは前後確認が必要な訳で、
それを読んでると「~だった。」が続いていたりするのを読んだりすることになり、上記の衝動に駆られるという。
多分、私は私の文章を確立してしまっているからそうなんだろうなぁ、と思います。
前にもどこかで書いたかも知れませんが、昔から言われるのが、私の書く文章は一文目で分かるくらい特徴があるということ。
文章の入り方や言語表現、句読点の打ち方、引いてはその後続いていく文章構成というものが「この文章は星海が書いています」と紙の上で主張しているらしい。
どんだけ目立ちたいんだ自分。。。
ただ他人と同じことするのがとても苦手で出来るだけ違うようにと思っている、それが目立つことに繋がっているという。
なに?天然目立ちたがり屋ですか?みたいな。
ただし私の文章に良い評価が与えられるのは、大抵「作文」や「レポート」のときだけ。
「論文」は絶対評価が落ちるんです。
これは私が文章を書くときに一番気にしている「音の流れ」に関係していると思われます。
私は日本語は音の美しい言語だと思っているので、ちょっとした単語や接続詞をあれこれ考えて文章を書くのがスキなのです。
このことは「作文」などの軽い文体では評価の対象になるようなのですが、どうやら「論文」というのは理路整然とかくものであるせいか、要らない単語(私の場合は特に形容詞や副詞に接頭語に接尾語と殆どの所謂装飾的なことば)があることがとても敬遠されるようなんですね。
どれくらい要らない単語を入れているかというと、添削後に文章が全体の2/3に減るほどです。
高校の先生(担任兼古典担当)曰く、私の文章は紫式部に似てるんだとか。
あの句点のないだらだらした形容詞だらけの感じに近いそうでなんだかなぁ。。。
先生に大学の2次試験用の小論文(国語)を見てもらっていたときに、「声に出して読みたい日本語ではあるけれど、余計な単語や表現が多すぎる」と言われたのは今でもよく覚えています。
音の流れを気にして書いていることに気付いて貰えたのは良かったので、今後軽い文章を書くときもちゃんと気にしていこうと今もそれは継続しているつもりです。
何故「つもり」なのかというと、上記で示したように、私はどうやらすでに「私の文章」を確立してしまっているらしいから。
つまり、自分の好きな音の流れ、というのももうすでに決まってしまっているということになるので、普通にこうしてブログを打っていても多分、音読したときに自分の好みに仕上がるようになってしまっているということになります。
楽でイイ、と言えば良いのですが、問題はこの文体で論文が書けない、ということにあります。
堅苦しい文章が苦手なのに、これからそれを書く機会がモンブランのようにそびえ立っているのかと思うと少しはまともに文章を書けるようになった方がよいのかなぁとも思います。
私は大学のレポートも論述試験も殆どブログと同じように書いている上、ゼミの卒論用の発表も完全にラフなプレゼンにしてしまっているのでまともに論文を書いたことは皆無になります。
ということで。
ちょっと堅苦しい文章で何故店頭にバナナが帰ってきた(正しくは返ってきた?)のか、バナナダイエットは何故こんなにも早く収束を迎えたのか、を書こうかと思ったのですが、
ここまでできっと皆さんお腹一杯でしょうから今日はこの辺りでお暇しようと思います。
明日辺り時間があったら書きたいなぁ。。。
それでは!
みなさま良い週末をー!
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