変えるのって、ムズカシイ。
以下延々と語り続けています。
今回はコンプレックスのお話。
でも暗くはないはず。
この自堕落な自分を変えたくて、何度も何度も明日こそはって、今週こそはって心に思うけど、
思うだけで終わってしまうこの情けなさ。
一向にお部屋がきれいにならなくってどうしたものかしら。
前とは生活習慣変えたせいか、それ以上汚れることはないのだけれど、汚れることがないだけできれいになってはくれないのは当たり前で。
あぁもういっそ引っ越してしまいたいだなんて無茶なことを思ってみたり。
ホントに私はいつも思うだけで何も行動に移さぬままこうしてだらだらとのらりくらりと生活していて。
でもそんな自分がとても好きではなくて、そして周りtが私に求めているモノも今の私から懸け離れていて。
願わくは、少しでも人の求めている私でありたいとそう思う。
心底実現する実行力が欲しいのです。
今晩和。
ときどき私というものが分からなくなって非道く不安定になる星海です。
別に暗い気持ちではないのです。
ないのでそこは無問題なんです。
私のイメージは「働きマン」に近いそうです。
あの漫画のね。
ゼミの人とはあんまり心底中良いって程じゃないんだけど、そのうちの一人にげんしけんの男の人がいて、
その人に
「星海さん、『働きマン』読んだらおもしろいと思うと思うよ」
と唐突に言われました。
って私がおもしろいと思うと思っているってことは、私の好みがそこにあるというというのを示唆している訳で、
詰まるところ、私はそれに憧れるような、そんなイメージに認識されているんだろうな、
と友人に話したら、
「あぁ、もの凄くばっちり填るわ、そのイメージ」
と言われました。
私のイメージは、働きマン、つまりヒロにがっちり当て嵌まるのだそうです。
そして残念ながら、私はあまりそれが嬉しくありませんでした。
働く女性とか頑張ってる人とか、きっちり仕事が出来る人だとか、
そう言う人は確かにスゴイなって思うし、尊敬するし、憧れもするんだけど。
私はあぁなりたいワケではないのであって。
別に何よりも仕事優先にしているつもりなんてなくて。
でも人々曰く、仕事をしているときの私はホントにあの目が据わった状態、っていうのかな、
人が変わっている状態なんだとか。
それを聞いて、別にみんな私にマイナスイメージを持っている訳ではないのになんとなく焦りました。
あぁ、私にあぁいう風に、何も顧みないで仕事をこなしていくそういうイメージをプラスイメージの状態で持ってくれているってことは、
私がそうでなかったら、プラスに評価して貰えないんだろうなって。
あぁいうふうでなきゃ、私は認めて貰えないんだなって。
そしたら急に、私はなんでも出来る人でなくちゃいけないんだと焦り始めて。
確かに業務を完璧に来ないしたいって思うことはよくあるし、なんでも完璧に丸く収めたいし。
人の上に立って仕事するの嫌いじゃないから。
やるからにはホントにあのイメージを保持していなくちゃ誰からも認めて貰えないんだと。
そんな風に思っているとはきっと誰も思っていないと思う。
多分、みんなコンプレックスを持っていると思う。
体型とか顔形とか声とかの生得的なモノとか、家柄とか出身校とかありとあらゆることにコンプレックスを抱いていると思う。
そんな私のコンプレックスは、いわば「委員長コンプレックス」というものだと勝手に考えてみた。
何度も書いたけれど、私は気がついたときから毎年委員長で、多いときには3つ4ついろんなところで委員長をかけもちしていた状態もあった。
小さいモノから大きいモノまで、とにかく毎年何かしら企画運営してきて。
中学生のときは、別に自分でなくても良いものをみんながやりたくないから私にやらせてるんだとか、すごく卑屈に考えたときもあった。(そして実際周りにはそう言う思いがあったと思う)
そんな風に生きてきたせいか、何か集まって事を進めるときにどうしても現場をしきってしまうお節介なクセがある。
そして大抵、以前委員長やってたなと勘付かれる。
これが今の私にとっての最大のコンプレックス。
勘付かれた時点で仕舞ったと思う。
なんでかしらないけど、みんな「委員長」と言う言葉に対して多くの付帯価値イメージを貼り付けている。
大抵それは「デキる」というもので、私にとってはコレが非道く重い。
人間の思考はとても単純に出来ていて、第一印象がほわほわしていてると、ちょっと何かやってのけるともの凄くその人に対しての株が上がる。
けれどその逆、第一印象がかっちりしていると、ちょっと何かしても褒められることもないのに、ちょっとしたミスで格段に株が下がる。
うん、そうなんだ。
私は人に褒めて貰いたいんだと気がつく。
ちょっと出来なかったら周りがガッカリするんだと思うとどうしようもなく不安になる。
別に委員長は頭良くなくたって勉強できなくたって運動できなくたって誰だって出来るんだよってこと、きっとみんな失念してる。
委員長だって英語話せなかったり単純な計算できなかったり泣きたくなったりするんだよってこと、きっとみんな忘れてる。
それを言わずに分かって欲しいだなんて気付いて欲しいだなんてなんてエゴイスティックで傲慢なんだろう。
でも求められていたいから、取り敢えず、出来る限り「委員長」でいようと思う。
多分、「委員長」であれば褒めては貰えなくてもがっかりされることはないだろうから。
そして今、ここまで書いてみて思い起こせば学祭のとき。
私は確かにヒロのような状態だったかも知れないと思った。
だってあのとき、周りのこと顧みてなかったし、スキンケアだって完全に怠ってたけど全然気にならなかったし、
ごはんだって取り敢えずお腹満たされればジャンクでも何でも構わなかったし。
そういうイメージもたれても仕方なかった自分に反省。
私はもっとこうきゃぴってした女の子になりたいんだがなぁ・・・。
ムリなのかなぁ・・・。
あぁ、モニターの向こうで皆さんが失笑してらっしゃるのが目に見えるわ・・・。
女の子女の子した女の子に憧れます。
お人形さんみたいな。
格好いいって言われるんじゃなくて可愛いって言われるような。
だからアリプロとか薔薇乙女とかあるいはディズニーのプリンセスシリーズだとかに異様に惹かれるんだと思う。
自分にないモノを持っているモノに対して憧れてしまうから。
春になったらワンピースを買おうと思います。
ふわふわした、シフォンみたいな。
桜色した柔らかいワンピースを。
せめて服装だけでも柔和な人になるよう努力しよう。
求められていると言うことは期待されていると言うことで。
それは重たいモノだけれど期待をされなくなったら完全に見離されたのと同じこと。
そうしたら私は生きていくのが辛いから、重たいまま生きようと思う。
ずっと背負っていれば背負っていることも忘れるくらいその重みに慣れるだろうから。
そしたら私はコンプレックスに勝てるのだ。
と、思う。
だから身辺を整理しよう。
求められた状態を築き上げるために勉強できる環境を作ろう。
うん、明日こそは・・・・!
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