最後の方だけだけど。
今晩和、それでも裁判員制度には反対の星海です。
ドラマの作りはし方なかったかな、という結末でした。
死刑にしても回避にしても、どちらかを正式に『裁判員の判決』として出してしまうと「裁判所は○○をさせようとしている」と批判されますから。
だから最初、みんなが死刑判決を出した被告人は冤罪、という形にして真犯人は「自殺」という、「裁判員が直接判決を下したために人が死んだ」という、一般人が一番恐れている部分を有耶無耶にしたのではないでしょうか。
あくまで番組は「裁判員制度の光」を描かなければならないので(制度に参加させるための番組ですから)、
是が非でも「制度に参加して自分が(良いほうに)変われますよ」という印象を残さなければなりませんから。(終わり良ければ全て良し)
最初の方を見ておりませんので間違っていたら申し訳ないのですが、
結局、触れたくない闇には触れなかった、という印象が残りました。
例えば美容師さんがいらっしゃいましたし、自営業の方もいらっしゃいました。
あれって、オーナーや奥さんは快い理解を示してくれたのでしょうか?
五日間も働き手を取られてしまう。
その間の手当ては本人以外にはありませんよね?(確か)
例えばこれがフリーターの方だったら、本人のせいではないのにそれを理由に解雇を迫られることが無いとは言い切れないと思います。
加えて、アフターケアの問題に何も触れずに終わってしまいました。
場合によっては惨殺された遺体などの写真を見ることもあるでしょう。
それによって裁判員に残るかもしれない精神面のケアは一体どうなるのでしょうか?
ドラマでは皆さん未来が明るくなって終わってしまって少なくとも後半にそういった描写は見られませんでした。
また、ドラマでは被告人と裁判員が思いっきり顔合わせて会話までしていましたが、
もし殺人犯が執行猶予で出てきたときに逆恨みされる危険は無視ですか…?
そして一番、疑問に思ったのは裁判員に一体どこまで権限があるのか、でした。
殺人現場に行ってみたり、真犯人を探すため裁判員同士がつるんで関係者に話を聞きに出向いたり。(しかもそれがなきゃ真犯人がいると分からなかったという)
これはドラマだから許された行為なのでしょうか?
もともと裁判員制度はアメリカから持ってきたものです。(いい加減追随は程々にと思う)
あのお国は法が正義で違反者は問答無用でひっとらえますし、国民自体がそういうお国柄で育っているのでイエス・ノーがはっきり出しやすいのではと思います。
対して日本人は臭いものには蓋をするタチですし、面倒ごとは黙ってやり過ごしたいので、法がなんだ判例がなんだと言っても感情で大幅に判決が左右する恐れが強い。
そういった国民性の違いをもう少し尊重しても良いのではないかしらと思います。
見切り発車感が否めない(こういうドラマは始まる(封書を送るとこ)前にやるべきでしょうね)裁判員制度。
問題が浮上するのはまだまだこれからだろうと感じました。
※以上はあくまで制度に反対する人間の個人的な意見です。
賛成か反対か、光か闇か、自身で調べて理解された情報をもとに判断されることをお薦めします。
実際、委員になったときの死刑か回避かも、ご自身で判断されなければなりませんから。
以上。
携帯よりちょっとお堅い感想記でした。
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