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夜逃げ街道まっしぐら。
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寝付きが悪いのも眠りが浅いのも、いつものこと。
 
ただ、今宵はまた別なところに所以があった。
 
 
 

 
軽い溜息一つくらい、誰にも聞き取られることはないだろう。
 
庵の内にいるにも拘わらず、外にいるのとそう変わらないのではないかと思えるほどの、轟音。
 
雨戸や、下手をしたら屋敷自体が壊れるのではないかと危惧するほどに音を立てて天地が揺れ、震えている。
 
それらを紡ぎ出しているのは、夕刻から酷くなり出した、風雨だ。
 
それも只の風雨ではない。
 
暴風雨である。
 
 
 
 
連日雨が降り続き、足は泥濘に捕られ、おまけに強い風が四方八方から吹き荒ぶ。
 
一歩進むにも億劫で仕方がなく、しばらく山中の庵に閉じ籠もり、なんとかやり過ごしていた。
 
その雨が今朝になって、途端に上がったのだった。
 
すぐに出立し、昼前に辿り着いた村で、異国の巫女君が今晩は宿に泊まりたい、風呂に入りたいと主張した。
 
さらに一行の足を止める要因となったのは、肩に大きな獲物を担いだ戦姫の言葉だ。
 
曰く、夕刻にはまた荒れるだろう、と。
 
確かに娘の云うとおり、空は晴れてはいるものの、
 
辺りには不気味な風が吹き続けていて、邪気とは違う、どこか嫌な空気がべたりと周囲に漂っていた。
 
人間とは懸け離れた強靱な足腰を持つ輩の「道草食ってる暇なんてねぇ」と云うお決まりの台詞は聞かなかったことになり。
 
毎度の手段で宿を見つけ、今回ばかりは旅を共にする姫君たちに有り難がられ。
 
良い気分でお祓いを済ませて湯を貰い飯を喰らい、なかなかに上等な酒を引っかけ。
 
ついでに良い女を引っかけに出掛けようとしたのだが。
 
先の言葉通り、夕餉を食べ終える頃には一段と酷い雨と風がやってきて、今に至る。
 
 
 
 
 
風の強い日は、情け無いことに、心に非道く落ち着きが無くなる。
 
在りし日のことを思い出しては、何時かその日が自分にもやってくることを思い、眠れなくなる。
 
一瞬の明と振動を屋敷に与え、雷が落ちる。
 
だんだんと遠のいて行きはするものの、雨戸の隙間から差し込む閃光は止まない。
 
ここ最近の生活状態から疲れが溜まっていたらしい仲間たちは、
 
この荒れた天気に構うことなく疾うの昔に寝付いてしまった。
 
だから思わず漏らした溜息を聞く者などいなかった。
 
いや、いないと思われた。
 
 
 
「・・・・・・・・・法師様・・・・・・・・・?」
 
 
 
小さな、囁くような問い掛けが、衝立越しに聞こえた。
 
轟音の合間を縫うように、耳に届いた。
 
 
 
「・・・眠れないの?」
 
 
 
返事をする前に、もう一度問い掛けられる。
 
眠っている人間を、わざわざ声を掛けて起こすような娘ではないし、
 
自分の眠りがそれほどの小さな声で目覚めるほど浅いものだと知っている娘だ。
 
今し方の自分の溜息が起こしたわけではなく、切り出す機会を見計らっていたのだろう。
 
 
 
「おまえこそ、眠らなくて良いのですか?」
 
 
 
犬夜叉のことだ、明日の天気がどうであれ、出立する気でいますよ。
 
暗に、寝てしまえ、と。
 
この情け無い姿を見る前に、気付く前に。
 
 
 
「法師様」
 
 
 
再度呼びかけられる。
 
 
 
「ちょっと、こっち、来て」
 
 
 
意外な言葉だった。
 
まさか、この程にこの娘子の口からその様な科白が飛び出すことなど、
 
御仏でさえも予測出来なかったであろう。
 
 
 
添い寝が必要なら、そう言って下されば良かったのに。
 
 
 
儚い戯れ言を呑み込んだ。
 
添い寝が必要なのは、娘の方ではないと気付いたからだった。
 
諫める科白も思いつかずに、立ち上がる。
 
衝立を避け、こちらを見上げている風な娘の形を見下ろした。
 
 
 
「法師様」
 
 
 
座れ、と云うことか。
 
逃げられそうにもないので、大人しく枕元に座した。
 
腰を落ち着けたと同時に、するりと何かがこちらへ伸びてくる。
 
その何かが娘の腕であり、その矛先が何処へ向かっているのかを察知し、
 
思わず肩から己の腕を退いたが、間に合わずその細い指先に捉えられた。
 
恐ろしい娘だ。
 
罪障を抱えるこの忌まわしき右手を、こうも易々と握ってみせるとは。
 
一陣の風が鳴り、数隙の明が部屋に灯り、消えた。
 
その刹那、彼の指先に、力が入った。
 
 
 
「怖いのですか?」
 
 
 
この娘は、雷を恐れているのだ。
 
そう、あたりをつけた。
 
正しくは、そう、思い込んでみようとした。
 
 
 
「大丈夫。雷神様はもう遠くへ行かれましたよ」
 
 
 
緩く微笑んでそう言ってやれば、解放してくれるだろう。
 
なんて愚かな思考。
 
不束な思惑など、この娘が見抜けないはずも無いというのに。
 
それを知らぬ己でも無いというのに。
 
 
 
「でも、風神様はまだいるみたいだよ」
 
 
 
瞬く閃光。
 
差し込む光がいくつにも空間を分断した。
その光に、猫のような瞳を視た。
 
獲物を、捉えて、放さない、その、瞳を。
 
 
 
「………そのようだな」
 
 
 
その瞳に捉えられては、もう動けまい。
 
溜息を吐いた。
 
それが諦めからきたのか、安堵からきたのか、なんて気に留めることさえも愚かに思えた。
 
もう一息ついて、目を閉じれば。
 
泡立つ心は、もう、見えない。
 
この胸に蟠る過去が引き寄せる前も、
 
旅の疲労が重なり、焦点の合い辛い意識も、
 
遠く深い無意識の奥に霞んだ。
 
指先から温かさが込み上げ、延髄が溶け出した。
 








03 目隠し誰だ

 
本当に、おまえは巧く隠してくれるな。












AIUEOdaiさま(http://hisame.oops.jp/a-z/)より 50題[赤] 
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