さよなら。
10代の自分。
というわけで。
本日をもちまして星海空はニキビをニキビと呼べなくなります。
先日からこの「ニキビをニキビと呼べない」で、10代の終わりを示唆していたんですけど、
このネタ、普通に通じるのか不安になりました。
私は高校1年の時の「羅生門/芥川龍之介」で習ったんですけど・・・。
羅生門に出てくる「下人の男」、彼は門に上がる前に、頬にあるニキビを弄るのです。
その描写が確か何度か出てきます。
それはその「ニキビ」という言葉に物語を読みとる上で、重要な(そうでもないと思うけど)描写だからでした。
そう、この「ニキビ」から、下人が10代であるということが推測されるのです。
何故なら文学上、10代までの顔の出来物を「ニキビ」、それ以上からのものを「吹き出物」と呼ぶからだそうです。
というわけで。
それを聞いて以来、専らこの描写を好んで使っておりました。
えー。
10代最後だから何があるというでもなく。
今日は普通に補講に行き、その後、例によって例の如く会議に行き、
それが終わった後は英語のレポートとスライドを作成、
んでお金を下さいと同窓会に接待へ。。。
で、同窓会に行った時にもらったお土産と、社会人学生のおばさまに頂いたパンで今日の夕食を済ませましたとさ。
普通すぎますが、まぁこんなものです。
この19年間振り返ってみて、なんて気ままに生きてきたんだろう、と思います。
こんな奔放な我が儘娘がなんの大きな問題も障害なく、ここまで育ってきたことが、不可思議です。
どこかで道を踏み外していたかも知れません。
どこかで人の道から外れていたかも知れません。
それくらい、なんの苦もなく自由に、周りを気にせずに生きてきました。
私は昔から、両親にお礼を言ったり、謝ったりすることが苦手でした。
高すぎるプライドが、本気でそれをすることを許してはくれませんでした。
その場凌ぎで軽く言えても、大事な時にはいつも喉に突っかかって言えませんでした。
今まで、面と向かって云ったことがないかも知れません。
一人暮らしをするようになってから、どれだけ家族が大事なのかと云うことを痛感します。
私は一人でいても寂しくないと虚勢を張る強さは持っているけど、
寂しい、会いたいと、素直に云える強さを持つことが出来ずに生きてきました。
帰省した時に、やっとそれらのことに気がつきました。
普段離れて暮らしているせいか、それとも今まで気がつかなかっただけなのか。
実家にいると、家族の優しさが身に染みて、なんでもないときに泣き出しそうになったことが何度あったか分かりません。
そのときに、たった一言が言えない自分が情け無くてどうしてこんなに恵まれた環境で、
こんなに捻くれた自分にしかなれなかったのか、
それを思うと悔しくて使用がありませんでした。
こんなところで云っても伝わらないけれど。
面と向かってはおろか、メールや電話ですら、きっと云えないので。
19年間、育ててくれた両親に沢山の有り難うと御免なさいを。
もう少しだけ、お世話になります。
あと数年したら、手のかからない娘で良かったと言わせたげたい。
あと数年したら、ちゃんと顔を見て云える娘になりたい。
色々なものから卒業して、同じくら色々なものから卒業できなかった19年間分の私に。
今の私を築きあげてくれた人に、ものに、環境に。
すべてに有り難うと御免なさいを。
いつか、きちんと言えるようになるまで、もう少し、時間を下さい。
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